三重の法務労務コンサルタント

仕事(人事労務、海外人事、税務、法務など)で学んだことや、趣味(歴史や旅行など)で感じたことなどを記載します

ストレスについて

 外部からの刺激(ストレッサーといいます)を受けて、生体に起こる反応を「ストレス」といいます。ストレスという言葉にはとかく悪いイメージを想像しがちですが、適度なストレスは適度な緊張をあたえ、仕事を効率的に進めるのに役立つともいわれています。しかし、過剰なストレスは仕事の生産性の低下や心身の変調を招き、ひいては精神障害心身症などの疾患を引き起こす要因ともなることがあります。

 以下は、自分や同僚、部下などがストレスに対処していくためのヒントです。ただし、人によって症状は異なりますので、生半可な対応は危険です。重い症状があれば、保健スタッフや医師に相談してください。

(1)ストレスの発見

 人によってストレスの現れ方は違いますが、以下のような変化があれば、本人には強いストレスがたまっていると考えられます。

 ・今まで好きだったことにも打ち込めなくなる

 ・新聞を読んだり、テレビなどを見る気がしなくなる

 ・仕事への意欲が低下する   ・何をするにもおっくうになる

 ・動作や話し方が遅くなる   ・いらいらしたり、落ち着きがなくなる

 ・離籍が増える   ・欠勤、遅刻が増える   ・ミスが増える

 このような症状が続くようなら、とりあえず無理をしないようにするとともに、原因を考えていく必要があります。

(2)原因への対処

 ストレスの原因が仕事にあるのか、家庭内にあるのか、手がかりを得ましょう。

 会社(仕事)に原因があるのなら

 ・原因が明確であるなら、原因をなくすことを考えます

 ・単に忙しいだけであれば、仕事の期限や配分を考えます

 ・ストレスの影響が相当にでているなら、仕事の担当を変える、人数を増やす、休ませる等の対策を考えます

 ・病的な状況であれば、休ませて、病院やカウンセリングにかかることを勧めましょう

 いずれにせよ、原因をなくす、原因を小さくする、原因を遠ざける、本人を遠ざけるなどの内、できることをするしかありません。

(3)ストレスを和らげる

 自分自身でストレスを感じてるなと自覚できるなら、以下の方法も効果があります。

 ・散歩等軽い運動でエネルギーを発散させる

 ・時々、顔を洗う、新鮮な空気を吸う

 ・温かめの風呂にゆったりと入る

 ・規則的な生活をする

 ・思っていることをたくさん話せる仲間をつくる

(4)病的な症状になってしまった場合

 WHO(世界保健機構)の基準では、

  ①抑うつ気分(気分障害

  ②外界に対する興味、喜びが減退

  ③疲れやすく活力に欠ける

 以上3つの症状が2週間以上続いた場合は「うつ」とみなすそうです。

   自分自身が上記の症状だと思うなら、メンタルヘルスの医院でカウンセリングを受けた方がいいでしょう。また、同僚や部下が上記の状況であれば、話を聴いてあげるとともに、医師に相談することを勧めましょう。

 

 うつの症状のある相手に決してやってはいけないことが2つあります。

     ①頑張れと元気づける    ②酒にさそう

 ①元気を出したくても出せない者に頑張れということは本人を追い詰めることになります。

 ②うつは性格ではなく病気なのです。酒は病状を悪化させる要因になります。

 

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メンタルヘルスについて

 職場におけるメンタルヘルス対策の基本

 旧労働省は2000年8月に「事業場における労働者の心の健康づくりのための指針」を出しています。この指針で述べられているメンタルヘルスケアの基本的な考え方は、①セルフケア、②ラインによるケア、③事業場内産業保健スタッフによるケア、④事業場外資源によるケア、という4つの部分で構成されていますが、この4つのケアを事業場の中で1つのシステムとして機能させることが重視されています。

 「自分の健康は自分で守る」ことは当然であり、そのためには各自がセルフケアの意味と意義を十分に理解し、実行に必要な知識や技法を身につけることが欠かせません。

 ラインによるケアは、職場のストレス要因を把握し、それを可能な限り減少させるために必要な機能です。管理監督者が「いつもと違う」部下への気づきをよくし、そうした部下への声かけを行うことが、メンタルヘルス不全の早期発見の糸口となります。

 セルフケアとラインによるケアがうまく機能するようにサポートすることは産業医、看護師等の事業場内産業保健スタッフにとってプライオリティの高い業務です。本人や管理監督者の持ってきた課題を必ず受け止めることが必要です。保健スタッフが自分の力のみでは対応できないときは、事業場外の人的資源を活用することになります。

 

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預金の利息と株式の配当

定期預金の利息と株式の配当

 現在の預金の利息と株式の配当を比べて不思議に思うのですが、例えば、3行の合計で利益が1兆円を超えるといわれる好業績のメガバンク配当利回りは、もちろん株価の変動に応じて変動していますが、三菱UFJが4.3%、三井住友が5.2%、みずほが5.3%ぐらいになっています。

 ところが、預金の利息を見ると3行ともほぼ固定しており、定期預金が0.002%、普通預金が0.001%となっています。

 仮に、100万円を普通預金にしたら1年間の利息は10円、定期預金をしても利息は20円しかつきません。

 私は、利息はほとんど変わらないので、銀行員からはいまだに定期預金を勧められますが、最近は定期預金ではなく、自由に出し入れできる普通預金にしています。

 仮に、100万円を株式に投資すれば、購入手数料が1,000円~2,000円程度かかりますが、配当利回りが4%であれば1年間の配当金は定期預金利息の2000倍の4万円になります。

 さらに配当以外に、株主優待で年2回3,000円~5,000円程度の品物をもらえるような会社もたくさんあります。

 ただし、預貯金とは違って、株式には値動きがありますので、配当をもらってもそれ以上に株価が値下がりしてしまうリスクや、業績が悪くなれば配当自体が下がるリスクもあります。

 逆に、業績が良くなれば配当が上がる可能性や、株価が値上がりして売買益が出る可能性もあります。

 定期預金をしているつもりで、長期間、例えばメガバンクなど高配当の安定した会社の株式に投資する場合には、短期間の株価の変動も余り気にしなくていいと思うのですが、やはりリスクも伴うので、メガバンクに預けている普通預金の全額ではなく半分程度を引き出して、その資金で定期預金をしたつもりでその銀行の株式を買って、実際に利息と配当を比べてみようかと思っています。

 

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インドシナ地域の歴史

 この地域は、インドとシナ(中国)に挟まれているので、インドシナと呼ばれており、古くからインド文明や中国文明の影響を受けています。以前、タイ・カンボジア・ベトナムの3カ国の旅行をしたときに現地のガイドさんから聞いた話などを参考に、3カ国の歴史を簡単に紹介します。

 

〇 タイ

 12世紀頃まではタイ地域にはモン族、クメール族、タイ族などさまざまな民族が移動してきたようですが、タイ地域に統一国家ができたのは13世紀初頭に中国の雲南地方から南下してきたタイ族が建てた「スコータイ王朝」だといわれており、日本と比べると国の統一はずっと新しいようです。

 この王朝は第3代国王ラーマカムメンの時代に最盛期をむかえており、タイ文字を作り小乗仏教を国家宗教としました。しかし、タイの本格的な王朝は次のアユタヤ王朝です。1350年にラーマティボディ1世がアユタヤを都にして初代国王となりました。その後アユタヤは国際商業都市として発展し、17世紀初頭には日本人町もできて山田長政のように王の家臣になった日本人もいました。

 アユタヤ王朝は1767年に西方から侵攻してきたビルマに滅ぼされ、その後混乱期を経て、1782年にチャクリーが即位して、現在のチャクリー王朝を開きました。

 その後、19世紀には東南アジア諸国が全て西欧の植民地となっていった中で、タイだけは植民地にならず独立を保っています。20世紀になり、無血クーデターが起きて、王政から立憲君主制に変わり現在に至っています。

 

○ カンボジア

 6世紀に、カンボジア国家の起源とみなされているクメール人の真臘(しんろう)という国が勃興し、インドからヒンズー教サンスクリット文字を取り入れ、クメール文字を作っています。

 クメール帝国の最盛期は、12世紀初めのスールヤヴァルマン2世から13世紀初めのジャーヴァルマン7世までの約100年間でした。

 スールヤヴァルマン2世は各地にヒンズー寺院を建設しましたが、その最大のものが自身の墓でもあるアンコールワットです。

 ジャーヴァルマン7世はアンコールトムを都として造成し、各地に仏教寺院を建設しました。

 その後クメール帝国は徐々に衰退に向かい、15世紀にはアンコールワット、アンコールトムを放棄して、首都をプノンペンに移しています。

 1887年にはカンボジアはフランスの植民地となり、太平洋戦争で日本軍が侵攻した機に乗じてシアヌーク殿下が1945年にカンボジアの独立を宣言したが、戻ってきたフランスによって独立を取り消され、再び植民地に戻ってしまいますが、外交努力で1953年に完全に独立を達成しました。

 その後、右派のロンノルによるクーデター、ポルポトの率いるクメールルージュによる支配(ポルポトの支配していた4年間でカンボジアの総人口800万人の内200万人が虐待などによって死亡したといわれています)、ヘンサムリン派によるポルポト派の追放と内戦(ポルポト派は退却時に全土に地雷を埋めています)、ポルポト派の降伏と国民への謝罪、シアヌーク殿下の再即位によるカンボジア王国の復活などを経て、政情も次第に安定し、現在は海外政府やNGOなどの援助を得ながら活発にカンボジアの復興が行われています。

 

○ ベトナム

 紀元前200年頃に中国の始皇帝ベトナムの北部を侵略して、以後約1千年間ベトナム北部は中国に支配され続けていますが、同時にさまざまな中国文明ベトナムにもたらされました。

 ベトナムの中部、南部ではベトナム民族とは異なるチャム族が2世紀から15世紀ごろまでチャンパ王国を築いています。この王国はインドからヒンズー教を取り入れるなど、インド文明を取り入れています。

 北部で、ベトナム人が中国の支配から独立したのは10世紀のときで、以後ベトナム王朝が始まります。

 10世紀のベトナム独立以後、ベトナム王朝とチャンパ王朝は長い間抗争を繰り返しますが、15世紀にベトナム王朝が勝利し、18世紀にはチャンパ王朝は完全に滅亡し、チャム族は現在山岳地域に少数民族として生き残っているだけのようです。

 1884年にベトナムはフランスの植民地となります。

 太平洋戦争では日本軍がベトナムに侵攻してきますが、日本軍が無条件降伏をすると、ホーチミンを主席としてベトナム民主共和国の独立宣言をします。しかし、フランス軍が戻ってくると、ベトナムの独立を認めず、1946年にはインドシナ戦争が始まり、その後アメリカ軍がフランス軍を引き継いで、悲惨なベトナム戦争へとつながっていくのです。

 ベトナム戦争は1975年にアメリカ軍が撤退して終結します。ベトナム人は1975年以後のことを戦後といっていますので、戦後生まれとは現在46才以下の人のことをいうようです。

 

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         タイのアユタヤ

 

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コンピューターのプログラムを作成

コンピューターのプログラム

 私が初めてコンピューターのプログラムを作成したのは、1976年に従業員が350名ほどの寝屋川工場の総務課に勤務していた時です。

 それまで経理課の人がそろばんや電卓を使い手作業で行っていた寝屋川工場の従業員の給与計算を天満にある本社のコンピューター(FACOM230-25)を使ってしようということになり、私がその業務を担当することになったので富士通COBOLというプログラム作成言語の勉強に通ったのですが、プログラムの作成は中学時代に得意だった代数の問題を解いていくような感じですぐに知識を習得でき、その後給与業務を担当することになりました。

 1979年に、同じ寝屋川市にあった従業員が70名ほどの子会社へ転勤になり、そこで総務と経理の責任者になりました。フォークリフトを作っている会社でしたが、得意先は約200件、仕入れ先も約50件もあり、事務処理が複雑だったので、手作業の処理をコンピューター処理に切り替えようと思いました。

 当時、パソコン以上オフコン未満みたいなマシンで富士通のF9450シリーズ(1台150万円程度)というのがありました(OSも独自の物です)。その上で動くソフトが「EPOWORD(ワープロ)」「EPOCALC(表計算)」「EPOBIND(表型データーベース)」「EPOACE(表型データベースの簡易言語)」で、これをEPOCファミリと言っていました。

 1983年にこの簡易言語のエポエースとベーシックを勉強して覚え、パソコン(F9450)を1台購入して、販売・仕入経理に関するプログラム(数十本)を自分一人で作り、営業・資材・経理事務の担当者にデータを入力してもらい、手作業の仕事を一部コンピューター処理に切り替えて行き、パソコンも1台から3台に増やしました。

 その後、1991年4月に本社へ転勤となり人事課長となったのですが、その年6月中旬の会社の創立記念日に西脇カントリーというゴルフ場で参加者が約150名という盛大な社内ゴルフコンペがありました。人事部がゴルフの事務局になっており、プレーの終了後来賓の部・シニアの部・全員の部と3種類の成績表を作り、各順位の発表と優秀賞・ベスグロ・ブービー・飛び賞・大波小波賞などの表彰をするのですが、手作業では大変だからパソコンを持ち込んで成績表を作ろうとしたが、過去2年失敗をしたという話を聞いたので、その年は私が仕事中に簡易言語のエポエースを使ってプログラムを作成し、事前に参加者の情報やゴルフコースの情報を入力しておき、当日は人事部の女性社員2名が受付をしていたので、彼女たちに全員のスコアをパソコンに入力してもらいました。最後の人のスコアの入力が終われば、多分手作業ですれば数名で作業しても少なくとも30分以上はかかると思われる成績表を、パソコンがプログラムで自動的に作成するので無人で5~6分ですべて印刷もでき、みなさんが風呂からあがって食事を始める前に成績表をコピーして全員に配布することができました。

 ただし、これが私が会社で作ったコンピューターの最後のプログラムになりました。本社には情報処理室というコンピューターを専門に操作する部署があったからです。

 1995年にOSのWindows95が発売されてからはプログラムを作成しなくても、誰でも簡単にパソコンを操作できるようになりましたね。会社はWindows95が発売されると間もなく数百人いた事務関係の社員全員にパソコンを購入して与えていました。

 今では、パソコンの性能は飛躍的に向上して値段は安くなっており、小型のノートパソコンでOfficeのExcelを使えば、ゴルフコンペの成績表も簡単に作れるようですね。

 私は本社の人事部へ転勤後、「少し人事制度の勉強をさせてほしい」と言ったら、人事部長から「勉強のためならお金はいくら使ってもいい」と言われたので、2年間ほど大阪や東京で開催されていた人事セミナーに出席したり、専門書や雑誌を読んだりして人事制度の勉強をさせてもらい、1993年ごろから会社の人事制度の見直しを始め、国内の人事制度の改定や新人事制度の導入を行い、1996年ごろからは海外子会社の人事制度の見直しや新制度の導入なども行いました。

 

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 1970年代のコンピューター(FACOM230-25)

 

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睡眠の法則

 作業療法士の方が、雑誌に仕事の効率を上げる睡眠の法則について、概略、次のようなことを書いていました。

 医療の現場にはみなさんにぜひ知っていただきたい睡眠の科学的な法則があります。睡眠をつくる背景となるのが、私たちの全ての細胞に存在する時計遺伝子です。この時計遺伝子によってつくられているのが生体リズムです。

 私たちの生活で特に重要な生体リズムは3つあります。①メラトニンリズム、②睡眠・覚醒リズム、③深部体温リズムです。このリズムを最大限に活かすことが、忙しい中でも効率よく睡眠の質を高める方法です。そのために実行していただきたいのは、「起床から4時間以内に光を見て、6時間後に目を閉じ、11時間後に姿勢をよくする」ことです。

1.メラトニンリズムを整える

 メラトニンとは脳の中にある眠りを促す物質で、明るくなると減り、暗くなると増える性質があります。起床したらすぐに窓から1m以内のところに行き、脳に光を届けてメラトニンを減らしましょう。光によってメラトニンを減らすことができる作用は起床直後が最も強く、起床から4時間が限度です。新聞を読んだり、メールをチェックするなど、毎朝の習慣を窓際で行うことによって、1日の能の働きをしっかりスタートさせることができます。

2.睡眠・覚醒リズムを利用する

 睡眠・覚醒リズムは目覚めている限り、私たちの脳の中に溜まっていく睡眠物質がつくっているリズムで、1日に2回、起床から8時間後と22時間後に必ず眠くなります。昼食後に眠くなったり、徹夜をした日の朝方4時ごろに猛烈に眠くなるのは、生体リズムによるものです。この時間は人間が正確に作業できなくなる時間なので、特に仕事中はこの時間を効率よく回避することが重要です。

 そこで、まだ眠くなる前の起床から6時間後に目を閉じてみましょう。実際に眠らなくても1~5分ほど目を閉じると、目を開けたときに頭がすっきりします。6~15分、目を閉じるとスッキリするだけでなく、その後の作業の正確性が高まります。ただし、30分を超えてしまわないように注意してください。30分を超えると夜間の睡眠と同じ脳波が出てしまい、夜間の睡眠を食いつぶしてしまいます。

3.深部体温リズムに合わせて筋肉を使う

 深部体温とは内臓の温度です。人間は内臓の温度が上がると元気になり、下がると眠くなります。深部体温にはリズムがあり、起床から11時間後は最も体温が高く元気な時間で、起床から22時間後は体温が最も低くなり眠くなります。体温が最高になるはずの起床から11時間後に居眠りをしてしまうと、その晩は寝つきが悪くなり、浅い眠りになってしまいます。

 そこで、起床から11時間後には絶対に眠らないように注意してください。この時間に体温を上げるには、熱を産生する器官である筋肉を使うことが最適です。特に重要なのは、背中とお尻の筋肉です。デスクワークであっても、お尻をぐっと絞めて背筋を伸ばせば、それだけでも体温を上げることができます。また、体を動かす用事をこの時間帯にしたり、意図的に階段を使うなど、生活の中でこの時間帯に自然に体温が上がる仕組みをつくってしまうことが効果的です。

 夜遅くまで働いたり、不規則な生活の方ほど、生体リズムを活用してみましょう。

 

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民族紛争

 以前、北京オリンピックの開会式をテレビで見た時に、中国には56もの民族があるということを知ったのですが、それぞれの代表がきれいな民族衣装を着て登場していました。中国ではチベットウイグル地域などで民族紛争が起きており他国から非難されているので、中国政府が実際には他国から非難されているほど少数民族を抑圧しておらず、各民族とも平和で仲良く協力しているという姿を演出しているのかなあと思いました。

 仮に、中国が少数民族の独立を認めて分解しても、それだけでは民族紛争はなくならないと思います。例えば、チベットウイグルなどの少数民族が独立すれば、今度は逆にその中にいる漢民族などが少数民族になってしまうからです。

 ソ連が分解してできた15か国や、6か国に分解したユーゴスラビアなどにできた新しい民族国家の多くでは、民族紛争が起こっています。

 民族紛争は、もちろん中国やロシア、東欧だけではなく、中近東、アフリカ、その他世界各地で起きています。民族紛争は経済的に貧しい地域で多く発生しているようですので、貧困も紛争の原因となっているようです。

 ところで、民族を区別する基準とは何かというと、明確な定義はないようです。言語、宗教、文化、地域性などで明確に区別できるものでもないようです。対立する組織を味方の組織と区別するために民族という区別を作って紛争を起こすこともあるようです。

 宗教紛争も、民族紛争と区別できないようですが、2000年も前から続いています。

 世界的に有名な宗教としてはキリスト教イスラム教、仏教、ヒンズー教などがあり、それらがまた色々な宗派に分かれており、多分世界中では数万の宗教・宗派が存在するようですが、みんな自分の信ずる宗教が唯一絶対正しい宗教だと思っているようで、各地で紛争が起きています。

 特に、ユダヤ教キリスト教イスラム教の神はいずれも旧約聖書にでてくる共通の神で、本来は親戚のような関係の宗教なのですが(アラーは神のアラビア語だそうです)、なぜか互いに激しい争いが起きています。

 しかし、絶対的に正しい唯一の宗教や神が存在するのなら、世界中に数万とある宗教の内、本当のことをいっているのはたった一つで、他の数万の宗教や神はみんなうそだということになります。

 ただし、そういう考え方では宗教・民族紛争は解決できないし、そんなことはありえない話ですので、民族も宗教も神も仏も絶対的なものではなく、相対的なものであるという考えが大切だと思います。私の信じている宗教は絶対的に正しい宗教ではなく相対的に正しいと思っている宗教にすぎないので、あなたの信じている宗教も私の信じている宗教と同様に相対的に正しい宗教だと考えるのが客観的で公正な考え方だろうと思います。他の民族や宗教に寛容になり、後進国は貧困から脱出する努力をし、先進国はそれを援助する、和を大切にするということが民族紛争解決の基本となるのだろうと思います。

 

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