三重の法務労務コンサルタント

仕事(人事労務、海外人事、税務、法務など)で学んだことや、趣味(歴史や旅行など)で感じたことなどを記載します

五度の外科手術

 私は今までに全身麻酔を受けての手術を5回受けたことがあります。

 1回目の手術は18歳、高校三年生の二学期の秋の頃でした。

 当時は、いつも朝起きて食事前に牛乳を飲んでいたのですが、高校三年の夏休みの時に朝牛乳を飲むと、胸が苦しくなって牛乳を吐き出したことがありました。

 両親が心配して、近くの町の医者に診てもらったのですが原因は分からないと言われて、大きな病院で診察をしてもらったときに、これは噴門痙攣という症状で、食道と胃の間にある噴門は自律神経の作用で食事をしている時には胃へ食物を入れるために開いて、食事を終われば胃から食道へ食物が逆流しないように閉じるが、自律神経の誤作用で食事中に噴門が閉じてしまって食物を胃へ通さなくなり食道の奥にたまってしまうという症状だろうと言われました。

 手術をして、噴門の周りの神経を切断すれば治ると言われたので、岡山大学付属病院で手術を受けました。

 手術前に、私と同じ年齢ぐらいの若い看護婦さんに陰毛をそられてすごく恥ずかしい思いをしました。その時には、この看護婦さんと私は特別な関係になってしまったというような思いまでしてしまいました。その後4回の手術では、陰毛をそられるというようなことはありませんでした。

 手術室で、麻酔用のホルマリンをかいだ後に、医者が麻酔が効いているかどうかを確認するために私の足の裏をくすぐっていたように思うのですが、手術後に目が覚めるとなんとなくお腹が「ぺっしゃんこ」になったような感覚で、中学の理科の実験の時間にカエルにホルマリンをかかせて眠らせた後にナイフでお腹を割いて調べていたら、ホルマリンが切れたのかカエルが目覚めて動き出したので、慌てて校庭に土を掘ってカエルを埋めたことを思い出しました。

 手術前に検査のため一週間、手術後は回復のために三週間、合計約一か月間入院した後、退院したのですが、医者はもう症状は治ったと言っていましたが、本当は全然治っておらず、その後もずっと一か月に1~2回ほどは食事が食道につかえることがあり、流し台やトイレなどで食物を戻していました。

 当時はまだ医療技術が進んでいなかったのか、手術後にお腹の中心の胸のあたりからへそのあたりまで、縦20㎝、横1㎝ぐらいの大きなケロイドができました。旅行やゴルフで友人と一緒にふろに入ると、私のお腹を見てどうしたのかと驚いていました。以後、4回お腹の切開手術をしましたが、ほとんど目立ったケロイドはできていません。

 その時の病室は男性8人用の大部屋で、患者はほとんど40歳以上の男性でしたが、掃除婦のおばさんから私のことを、顔もふっくらとして頑丈そうな体格なので、とても病人とは思えないと言われました。

 昼間は女性が付き添いに来ている患者さんが多かったのですが、皆さん暇だから世間話をしていて、私はほとんど聞き役でしたが、だいぶ大人の社会を学んだように思います。

 ある日の昼間、40歳ぐらいの男性の患者と親しくなった別の患者の付き添いをしていた女性が、ふざけて男性の患者のベッドの布団に潜り込んでいました。しばらくすると別の付き添いの女性が、その患者さんの奥さんが病室に向かって廊下を歩いてきているのに気づいて奥さんが来るよと声をかけたので、潜っていた女性が慌てて布団から出てくるのを奥さんに目撃されてしまい、女性は少し赤い顔をして照れ臭そうに髪を直していましたが、その患者と奥さんと女性の三人ともしばらく何も言わなかったのですが、みんな気まずそうな顔をしていました。

 2回目の手術は、42歳の時に大阪の従業員が400名ほどの寝屋川工場から三重工場という従業員が300名ほどの工場に転勤になり、そこで総務課長という役職で全員で8名いた管理職の一員となり、昼食は一般の社員食堂ではなく管理職用の食堂で全員一緒に話をしながら食事をするようになったので、食事が食道に詰まった時には一般の社員食堂の時にはしばらく席を外して洗面所やトイレなどで詰まった食物を戻してから席に戻っていたのですが、管理職用の食堂では勝手に席を外しにくくなったので、その症状を直してもらおうと思って、三重大学の附属病院に入院して手術を受けました。

 1回目の手術と同じ症状でしたが、2回目の病名は噴門痙攣ではなく、食道アカラジアとなっていました。手術室で、手術前に麻酔の注射をされたのですが、しばらくは意識があったので、意識があるうちに手術を開始されたら大変だと思って、医師にまだ意識がありますよと言ったら、心配しなくてもすぐに寝てしまいますよと笑われました。

 ここで感心したのは、主治医の先生が冗談好きで治療中もよく話をするのですが、検査で胃カメラをのどに通すときに、普通は気持ち悪くてのどを引っ込めがちになって吐きそうになるのですが、先生は私にどんな食べ物が好きですかというような質問をして、私が答えようとして、声を出そうとして自然にのどを前に出そうとしたら、その瞬間に胃カメラをのどに通していました。

 ここでも約一か月間入院して、医師からもう症状は治りましたよと言われて退院しましたが、やはり治っていませんでした。

 3回目の手術は55歳の頃でしたが、私が大阪の本社勤務となり人事部長をしていた時に税務調査があり、対応していた社員から調査に立ち会ってくださいという電話がかかってきたので、その部屋に行こうと思ったら突然大きな咳が出て、胸が「くしゅん」としぼんだような感覚がしたのですが、調査をしている部屋まで歩いて行く途中で息苦しくなって座り込んだら、それに気づいた社員が集まってきて、すぐに会社の産業医をしていたクリニックへ車で送ってくれ、そこでレントゲンを撮ったら肺の片方がしぼんでいると言われて、すぐに北野病院という大きな病院に救急で運ばれました。

 肺に穴が開いて空気が漏れてしまう気胸という病名で、入院後すぐに機械で肺に空気を送るために胸から肺までチューブを差し込んだのですが、3名の医師が力任せにチューブを差し込むので、胸に麻酔をしているからと言われましたが、ものすごく痛くて、片方の腕がチューブで神経か筋肉の筋かを痛めたのか、しばらく動かなくなっていました。

 ここでもその後、胸の切開手術をして、約一か月間入院しました。

 4回目の手術は57歳の時でしたが、会社の健康診断で食道がんにかかっていることが分かって、大阪の成人病センターで再度診断を受けて入院することになったのですが、病室が満室のため空室ができて入院できるまで約一か月待たされることになりました。

 5月から6月頃でしたが、ひょっとするとこの世の見納めになるかもわからないと思って、心残りがしないようにと思って入院前に何度か大阪の公園などへ花を見に行ったりしていました。

 6月の末ごろに、空き室ができたという連絡がきたので入院して、一週間ほど検査を受けたのちに手術を受けたのですが、朝の9時に手術が始まって終わったのは夜の10時30分頃になったそうで、手術時間は13時間30分もかかったそうで、私は寝ているから気づかなかったのですが、家族は手術が終わって医者から連絡があるまで病院の待合室でずっと待機していたそうで、大変だっただろうと思いました。

 手術では、食道をすべて切り取って取り外し、小腸と大腸を一部切り取ってそれをのどから胃までつないで新たに食道にしたそうです。食道の上部は見栄えが悪くならないように細い小腸を使い、下部は太い大腸を使ったそうです。

 手術後3日間は集中治療室で過ごし、4日目から個室に移ったのですが、手術後1週間ほどは「医者と看護師が夜中に集中治療室でお酒を飲んでいるとか、女性の看護師さんが水槽に浮かんでいるとかいうような」幻覚をよく見ました。

 普通、食道がんの手術は40日ほど入院するのだそうですが、私の場合は手術の20日後の頃に、のどの手術のあたりに膿ができてしばらくすると穴が開きそこから唾が出だしたので、その穴が自然にふさがるまで1か月ほどかかり、約2か月間は水も飲めず、点滴だけで栄養を取っていました。

 食事ができるようになると、大分体力が回復してきたから、手術時にがん細胞の転移が見つかっていたので抗がん剤治療をすると言われて、また1か月ほどかかったので、退院は11月の初旬になり、約4か月間入院しました。

 この手術で食道を取り除いてしまったので、以後、食道アカラジアという症状は無くなりました。

 5回目の手術は72歳の時でしたが、夜中の2時ごろにお腹が痛くなって目が覚めてしばらく我慢していたのですが治らないので、3時ごろに119番に電話をして夜中だからサイレンを鳴らさないで来てほしいと言ったら、それはできないと言われましたが救急車はすぐに来てくれました。

 救急車のベッドに寝てから症状を確認されたので手術後の食道のあたりが痛むと言ったら、手術を受けた成人病センターで診てもらうのが良いだろうという話になって、隊員の人が成人病センターへ電話をしたらどこか近くの病院で診てもらうようにと言われ、どうしても診てもらえない場合には再度電話をしてくださいと言われたそうで、すまないが他の病院へ電話をしたことにするからしばらくこのままで待っていてくれと言われて20分ほど経ってから、再度電話をして診てもらえることになって、救急車で入院しました。

 早朝に病院でレントゲンを撮ったら、腎臓に石ができているので成人病以外の治療はこの病院ではできないと言われ、提携をしているという大手前病院へ転送されそこで検査を受けて数日後にまた開腹手術を受けて、3週間ほど入院したのちに退院しました。

 その後は体力が回復して健康になっており、今は歌と英会話と太極拳のサークルなどにも通っています。

 

高校3年の3学期(退院3か月後)に

大学受験願書用に撮った顔写真

 

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