人間は生まれつき善人なのか悪人なのか?
性善説と性悪説は、紀元前3~4世紀ごろ(中国の春秋戦国時代)に儒家が唱えたものです。
X理論・Y理論はちょっと意味が違いますが、20世紀の有名なモチベーション理論です。
2000年以上経っているのに、人間観は余り変わっていないようです。(進歩していない)?
人間はだれでも、他人の悲しみを見すごすことのできない同情心を持っている。
今かりに、子供が井戸に落ちかけているのを見かけたら、人はだれでも驚きあわて、いたたまれない感情になる。
子供の父母に懇意になろうという下心があるわけではない。地方団体や仲間で、人命救助の名誉と評判を得たいからではない。これを見すごしたら、無情な人間だという悪名を立てられはしないかと思うからでもない。
このことから考えてみると、いたたまれない感情を持たぬ者は人間ではない。羞恥の感情を持たぬ者も人間ではない。謙遜の感情を持たぬ者も人間ではない。良いことを良いとし、悪いことを悪いとする是非の感情を持たぬ者も人間ではない。
このいたたまれない感情は、仁の端緒である。羞恥の感情は義の端緒である。謙遜の感情は礼の端緒である。是非の感情は智の端緒である。人がこういう4つの端緒をそなえていることは、人間が四肢をそなえているようなものである。
人間の本性すなわち生まれつきの性質は悪であって、その善というのは偽すなわち後天的な作為の矯正によるものである。
考えてみると、人間の本性には生まれつき利益を追求する傾向がある。この傾向のままに行動すると、他人と争い奪いあうようになって、お互いに譲り合うことがなくなるのである。
また、人には生まれつき妬んだり憎んだりする傾向がある。この傾向のままに行動すると、傷害ざたを起こすようになって、お互いに信頼しあうことがなくなるのである。
だから、社会の規範や礼儀に導かれて、初めてお互いに譲りあえるようになり、世の中が平和に治まるのである。したがって人の良い性質というのは、後天的な矯正によるものなのである。
マグレガーのX理論・Y理論
〇 X理論
* 人間観 : 人は生理的欲求、安全欲求により動機付けられる。
① 人は仕事が嫌い、できれば仕事をしたくないと考えている。
② 強制や命令、処罰などの脅迫がなければ、組織目標達成のための努力はしない。
③ 人は命令には従いやすく、責任は回避したがる。
* 管理法 : 統制による管理(アメとムチ)
* 動機付け方法 : 高賃金、作業環境の整備、福利厚生の充実
〇 Y理論
* 人間観 : 人は元来より高い次元の充足をめざしている。
① 人は仕事が嫌いではない。
② 自分が設定した目標のためには、自ら進んで努力をする。
③ 目標が達成されることで自己実現欲求が満たされると、人は自然に努力をするものである。
④ 条件によるが、人は進んで責任をとろうとする。
⑤ 多くの人は問題解決のために創意工夫する能力をもっている。
* 管理法 : 目標設定による管理
* 動機付け方法 : 組織の目標と個人の目標を統合し、個人が自主的に参加をするよう促進する。