三重の法務労務コンサルタント

仕事(人事労務、海外人事、税務、法務など)で学んだことや、趣味(歴史や旅行など)で感じたことなどを記載します

猫の思い出

私は、高校を卒業するまで、ずっと四国の観音寺というところに住んでいましたが、家では、生れたときからずっと猫を飼っていました。

犬も一時飼ったことがあるのですが、育て方が悪かったようで、何度か近所の人に噛み付いて怪我をさせたので、保健所に引き取ってもらい、それに懲りて、それ以来、犬は飼ったことがありません。

生れたときにすでにいた猫は「ちょぼ」という名前で、私が5歳ぐらいのときに猫いらずを食べて死んだようですが、この猫のことは余り覚えていません。

2代目の猫は、「ちょぼ」の子猫で「ミー子」という名前でしたが、生れたときに、家の手伝いをしてくれていた親戚のおじいさんがこの子猫を捨てに行こうと思って探したら、私が隠して見つからなかったそうで、そのうち親猫が死んだので飼ってもらえることになったようです。

この猫は、賢くて野性心も強く、ねずみを取るし、私が食べているごはんのおかずも取るし、縄張りも広くて、近所の屋敷の中にも入り込んで悪さをしていたようで、よく叩かれて怪我をして帰ってきていました。

この猫は、毎年、人間に見つからないように屋根裏で子猫を生むのですが、子猫が少し大きくなると動き出すので、家の人に見つかって、山か川かに捨てられていました。私は捨てられる子猫がかわいそうなので、どこに捨てられたのか聞いたことがありません。

この猫も、家族の中では私が一番可愛がっていたようでしたが、中学の頃に老衰で死んだようです。

その後、いとこのお姉さんが、どこからか、まだ目も開いていないような子猫をもらってきてくれて、牛乳などを飲ませながら育てたら、当時では珍しく、野性心を失った今風のペットのような猫に育ちましたが、名前は同じ「ミー子」にしました。

この猫は可愛いけど、ねずみは取らないし、近所の猫にいじめられるので縄張りも我が家の屋敷内の一部だけと狭く、安全なので家の外よりも中の方が好きなようで、まるで自分は猫の子ではなく人間の子だと思っているような感じの猫でした。

私が朝学校へ行くときには玄関まで見送りに来て、学校から帰ったら迎えに来て、家にいるときはずっとくっついて遊び、人間の赤ちゃんが一時期するように、私がトイレへ行くと付いてきて、戸を閉めると泣いて戸を引っかき、夜は私の布団の中で一緒に寝るというような状態でした。

野性心を失っているので、子育てができず、毎年子猫を生むのですが、夜は子猫の面倒を見ずに私の布団にもぐりこんで一緒に寝ているので、子猫はすぐに死んでいました。

当時は、どこの家も猫の避妊などはせず、生れたらすぐにみんな山か川に捨てられるので、結果としては、手間がかからなかったのですが、毎年、私のそばで、時にはごはんを食べている横で、子猫を5匹ぐらい生んでいました。

私は、高校3年生のときに、1ヶ月ほど病院に入院していたのですが、退院して家へ戻って来たときに、猫が玄関へ出てくる姿がガラスに映ったので、玄関の戸をすっと開けると、猫がびっくりして1.5mぐらい飛び上がって宙返りをして、隣の部屋へ逃げていき、その隅からまるで幽霊でも見るかのように、まん丸い目をしてしばらくじっと見ていましたが、それからそばに来て、いつものようにじゃれてきました。

それからしばらくして、私は家を出て都会の大学へ行ったので、普段は家にずっといなくて、休暇中にだけ家にいて猫とも遊ぶという状態が続いていたのですが、この猫も私の大学在学中に老衰で死んだようでした。

私の両親は、この猫は私がいなくなってからは元気がなくなってかわいそうだったと言っていました。それ以後は、観音寺の自宅でも猫を飼ったことがありません。

私は、子供の頃に子猫が捨てられるのがかわいそうで、自分が大人になって、自分の甲斐性で家庭を持つようになったら、猫を捨てずに何十匹でも飼おうと思っていましたが、現実は厳しくて、いまだに猫は一匹も飼ったことがなく、今は、猫の代わりにハムスターを一匹飼っているだけです。

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高校3年生の時の猫の写真と大学受験願書用の写真です

 

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